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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)4495号 判決 1987年1月26日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

久保恭孝

被告

乙山次郎

右訴訟代理人弁護士

町井洋一

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対して、別紙記載の謝罪広告を、二分ケイで囲み、二段ぬき5.6センチメートル幅で、行間は二分の一行あけて、見出し、記名及び宛名は二倍活字をもつて、本文その他の部分は一倍活字をもつて、株式会社朝日新聞社発行の朝日新聞の朝刊全国版社会面に一回掲載せよ。

2  被告は原告に対して二〇〇万円及びこれに対する昭和五八年五月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2項及び3項について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、訴外株式会社朝日新聞社(以下「朝日新聞社」という。)に入社し、昭和四八年からは記者として外報部に勤務し、次いで、昭和五〇年一一月から昭和五四年一〇月まではモスクワ支局長としてソビエト社会主義連邦共和国(以下「ソ連」という。)に滞在し、帰国後は共産圏担当の編集委員を勤めている者である。

(二)  被告は、「ブレジネフ時代の終り曲がり角のソヴィエト」と題する書籍(以下「本件著書」という。)を執筆し訴外株式会社ティービーエス・ブリタニカは昭和五七年一一月一日付を初版として、本件著書を出版、頒布した。

2  本件著書中には左の(一)ないし(三)のとおりの記述がある。

(一) 「私のほかに何人かの元モスクワ特派員が本を出している。そのどれにも「漁業交渉の折に某新聞の記者がソヴィエトに迎合して情報をうけた」ということがしるしてある。日本ではジャーナリズムの相互批判は避けることになつているのでぼかしてあるが、禁を犯して明らかにすれば『朝日新聞』である。

『朝日新聞』の特派員が、日本人の常識では考えられないほどソヴィエトに好意的な記事を書き続けたことは、事実である。」(本件著書一九六ページないし一九七ページ、以下「本件記述1」という。)

(二) 「革命六〇周年を記念して開業した、ツボレフ一四四(俗称『コンコルドスキー』)超音速機のアルマ・アタ行き第一便にも『朝日』は座席をもらつた。」(本件著書一九七ページないし一九八ページ、以下「本件記述2」という。)

(三) 「内村剛介の『ロシヤ無頼』(高木書房)を見てみよう。

<ソ連は、社会保障が完備しており、老後の不安はない。日本では家計の大きな負担になつている教育費も、小学校から大学まで全額国家が面倒見てくれるので、不要だ。医療費も、無料で、入院したからといつて法外な差額ベッドを請求されることもない』(「ソ連の断面」甲野太郎、『朝日新聞』一九八〇・三・二三)。

全くいいことずくめの社会主義である。ついこのあいだまでモスクワ支局にいた人がこう書くのだからやはりソ連は……と思うわけだ。でも私などは、狸穴のソ連大使館からタダでもらつてきた日本語のパンフレットで、同じことを読んだような気がする。で、そのパンフを捜し出してみると「ノーボスチ通信社編『ソビエト連邦』、国際事情研究会、千代田区西神田二―七、一九七〇年四月一日発行、非売品』と銘打つてある。大使館広報部が、なぜ国際事情研究会というまぎらわしい日本名を名乗らないとまずいのか、そのへんのところはまあどうでもよろしいとしよう。それよりも一九七〇年という日付がいまもって新鮮このうえない。>

このあと、前記のタテマエと実態の違いがくわしく例証してあるが、物事何一つきれいごとばかりですまないぐらいのことは、常識をもつてしても想像がつくであろう。

ここに名前を挙げられた記者はロシア語屋ではない。したがつて、語学力の不足をカバーするためにソヴイエト当局に胡麻をすつたとも考えられるかもしれない。」(本件著書二〇二ページないし二〇三ページ、以下「本件記述3」という。)

3(一)  本件記述1ないし3(以下、これらを総称して「本件各記述」という。)は、いずれも原告に関する記述である。

そして本件記述1には、原告の氏名が明記されていないものの、読者は、それに続く記述などからしてそこに記述されていることが原告のことであることを容易に推知できるし、少なからぬ原告の知己、友人、記者仲間にはそれが原告に関する記述であることがわかるものである。また、本件記述2には、超音速機のアルマ・アタ行き第一便の座席をもらつたのが誰であるかは明示されていないが、読者はその前後の文章の脈絡、内容からして、これが原告に関する記述とであると理解するものである。

(二)  一般に「迎合」とは、「他人の意向を迎えてこれに合うようにすること。他人の機嫌をとること。」(広辞苑)や、「人の気に合ふやうにつとめること。きげんをとること。おもねりへつらうこと。」(新修漢和大字典)をいうから、本件記述1は、原告がソ連政府当局におもねり、その機嫌をとり、その意向を迎えることによつて情報の提供をうけ、日本人としては考えられないほど非常識なソ連に親愛的な記事を執筆し報道し続けたという印象を読者に与えている。

(三)  本件記述2は、原告が右のようにソ連政府当局に迎合した記事を執筆・報道していることにより、右当局から特別に優遇され、便宜を与えられたという印象を一般に与え、あわせて、本件記述1の例証として、それが真実であるかのように思わせる機能を果たしている。

(四)  本件記述3は、原告が、語学力が不十分で、まともな取材が困難なため、ソ連政府当局のご機嫌をとり、おもねりへつらつて、事実とは相違する皮相的な記事を執筆・報道して、右当局から情報を入手しているような印象を一般に与えるものである。

4  報道は、ことの真相を伝えることが生命である。とり分け、ニュースの報道にあつては、記者個人の意見を差しはさむべきではないし、また、それが何人かの宣伝に利用されることのないよう厳に注意して報道に当らなければならないのである。このことは、報道に携わる者の職業倫理として要請され是認されているところである。

被告は、本件著書中で、前記のとおり記述し、これによつて、読者に対して、原告は新聞記者としての自覚に欠け、職業倫理をわきまえない、反倫理的な人間であるとの印象を与え、その性向について嫌悪と軽蔑の念を抱かせて、原告がその人格的価値について社会から受けている客観的評価を著しく低下させ、また日本人の常識では理解できない程のソ連政府当局の同調者であるとのレッテルを原告にはつて、原告の名誉感情を深く傷付けたものであつて、原告が本件各記述を内包した本件著書を著述し、出版、頒布させたことによつて、原告は名誉を毀損され、侮辱を受けたものというべきである。

5  被告は、本件各記述を執筆するに際し、それによつて原告の名誉が侵害され、侮辱を受けることとなることを知つていたものであり、仮に知らなかつたとしても、他人の名誉及び名誉感情を毀損することのないよう注意を払つていれば、これを知ることのできたのであるから、被告には原告の名誉及び名誉感情を毀損したことについて過失があることになる。

6  右名誉毀損及び侮辱によつて、原告は著しい精神的苦痛を受けたものであり、これを金銭に評価すれば二〇〇万円に相当する。

7  よつて、原告は被告に対して不法行為に基づく損害賠償として、金二〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五八年五月一三日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、名誉を回復するための適当な措置として請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2(一)  請求原因3(一)は否認する。

本件各記述は、「朝日」、すなわち朝日新聞に関する記述であつて、原告に関するものではない。

(二)  同(二)ないし(四)は否認する。

(1) 本件記述1は、次の三点を記述しているものであつて、これにとどまり、原告主張の如く「原告が、ソ連政府当局の意向を迎えることによつて情報の提供をうけ、日本人としては考えられないほど非常識なソビエトにおもねりへつらつた記事を執筆し報道し続けたと断定」などしていない。

イ 何人かの元モスクワ特派員が本を出し、その中で「漁業交渉の折に某新聞の記者がソヴィエトに迎合して情報をもらつた」旨を書いている。

ロ 右「某新聞」とは、実は「朝日新聞」のことである。日本ではジャーナリズムの相互批判は避ける慣習があるために、社名はぼかしてあるものである。

ハ そうして、同新聞の特派員がソヴィエトに好意的な記事を書き続けたことは事実である。その程度は、同特派員がソヴィエト当局と同じ信念を持つていたものとすればやむを得ないが、そうでなければ日本人の常識では考えられない程度のものといわざるをえないものである。

(2) 本件記述2は、「朝日新聞」がソヴィエト当局と良好な関係にあつたことを示すものであり、「朝日新聞」の編集方針に対する問いかけであり、また、読者に事実の再認識を希望したものである。

(3)イ 本件記述3の直後には、次の記述が続いている。

「そこで、公平を期するために、やはり有力新聞の、ロシア語に堪能な記者のものを引用しておこう。

『ソ連では、国土が広いうえ、安全第一主義が徹底しているので、国内航空便が定時に運航することはむしろ少ない。空港では便を待つ乗客でいつぱいである。(中略)レニングラードからトビリシに行く飛行機が例によつて数時間遅れたおかげで、思わぬ拾いものをした。……』(「六二歳のソ連」平野裕、『毎日新聞』一九七九・九・二二)

この執筆者は元モスクワ支局長でロシヤ語のベテランである。これぐらい親ソ的だからこそ遅延の待ち時間にレニングラード郊外を特別に見せてもらうことができたのであろう。」

ロ 被告は本件記述3において、人は、原告がロシヤ語屋ではないことから、原告のロシヤ語の語学不足を想像して、これをカバーするために内村剛介氏の批判にかかるような引用記事を書きソ連当局に胡麻をすつたと解釈するかもしれないが、ロシヤ語のベテランである『毎日新聞』元モスクワ支局長も右引用のような親ソ的一方的な記事を書いており、したがつて、原告がロシヤ語の語学力の不足をカバーするためにソ連に胡麻をすつたと解釈することは当らない旨を記述したものである。

3  請求原因4の前段の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

なお、本件記述1については、原告の氏名は記載されておらず、読者のうちでも殊に事情を知る極めて限られた者でない限り、記述されているのが原告であるとはわからない。

4  請求原因5ないし6の事実は否認する。

三  抗弁

1  本件各記述は、いずれも当該記載自体や前後の文脈からみて、社会の公器たる新聞、とりわけわが国の三大新聞の一つである朝日新聞とソ連当局との良好な関係を示すとともに、同新聞の報道姿勢に対する疑問を投げかけ、読者に事実の再認識を促すという公益目的に出たものであり、事実を基礎とした公正な評論である。

(一) 本件記述1は、日ソ漁業交渉の記述から、ソヴィエトの情報操作についての記述に及ぶなかで、要路にくいこんでの特ダネ取材は不可能であり、特定の記者に特別の情報が流されるとすれば、意識的・意図的なものであるというソヴィエトにおける取材の特殊性に関連してなされたものである。

(二) 本件記述2は、朝日新聞社とソ連当局との良好な関係を示すとともに、同新聞の報道姿勢に対する疑問を投げかける中で為されたものである。

(三) 本件記述3は、「真実は伝えられているか」との小見出しのもとに、ソヴィエト情報が日本に十分に伝わらない原因は、日本のジャーナリズムの側にあり、その第一の責任は記者一人一人にあるとする論述の中で為されたものである。

2  また、本件各記述は、いずれも真実に基づくものである。

(一)(1) 本件記述1のうち、前段(「何人かの元モスクワ特派員が本を出している。そのどれにも『漁業交渉の際に、某新聞の記者が、ソヴィエトに迎合して情報をもらつた』ということがしるしてある。……それは、『朝日新聞』である。」との部分、以下「本件記述1前段」という。)の部分について

元モスクワ特派員磯田定章の著書「拝啓ソビエト皇帝陛下」(乙第一号証八八ページないし八九ページ)の中には右記述に該当する記述がある。他には現在のところ、右記述にそのまま該当する著書を指摘することはできない。しかし、モスクワ特派員在任当時、沢山の者が右のような本を書こうと話し合い、帰国後実際書きもしたが、出版社の倒産や他所への転勤などの事情により実現しなかつたものである。また単行本以外では、同趣旨の雑誌記事もいくつかあるが、紛争に巻込まれたくないというそれら記事の執筆者の意向により、その氏名を明らかにすることはできない事情にある。

さらに、「週刊現代」(昭和五二年五月一九日号)、「諸君」(昭和六〇年三月号)、元毎日新聞モスクワ特派員今井博著「モスクワ特派員報告」にはそれに類似した記述がある。

(2) 本件記述1のうち、後段(『朝日新聞』の特派員が、ソヴィエト当局と同じ信念をもつていたとすれば仕方ないが、日本人の常識では考えられない程ソヴィエトに好意的な記事を書き続けたことは、事実である。」との部分、以下「本件記述1後段」という。)について

原告は、左のような記事を執筆しており、これによれば原告が日本人の常識では考えられない程ソヴィエトに好意的な記事を書き続けているということができるというべきである。

a 朝日新聞昭和五二年四月二日付朝刊に掲載された「暫定取り決め最終ソ連案全文を入手」「日本の新領海内、ソ連、操業要求を撤回」「四島を含め線引き」「二〇〇カイリ内の主権を強調」との見出しの付せられた記事

b 朝日新聞同年五月二日付朝刊に掲載された「『領土』絡めば反撃」「ソ連、再開漁業交渉に厳しい態度」「漁業相案が限度と主張」との見出しの付せられた記事

c 朝日新聞昭和五三年四月二八日付朝刊に掲載された「二〇〇カイリ内漁獲認めず」「サケ・マス ソ連が強硬方針か」との見出しの付せられた記事

d 朝日新聞昭和五三年三月三一日付朝刊に掲載された「サケ・マス沖どり抑止の原則日本に承認迫る、七八分操業の前提に」(ソ連権威筋)との見出しの付せられた記事

e 朝日新聞昭和五三年二月二四日付朝刊に掲載された「アジア外交への布石―ソ連の日ソ善隣協力条約案」「平和条約『日本に意思なし』と判断」との見出しの付せられた記事

f 朝日新聞昭和五二年六月一六日付朝刊に掲載された「『石田訪ソ』関係修復に突破口」「経済協力のバネに閣僚会議」「善隣条約首相の判断にかかる」との見出しの付せられた記事

g 朝日新聞昭和五二年六月四日付朝刊に掲載された「『働かざる者、食うべからず』は消えたが真の豊かさへ働く必要」「共産社会への途上段階」との見出しの付せられた記事

h 朝日新聞昭和五二年一〇月八日付朝刊に掲載された「『完全軍縮』うたう」「―原案に新たに追加―」との見出しの付せられた記事

i 朝日新聞昭和五二年一一月三日付朝刊に掲載された「核後進国は反発か」「ブ書記長の平和攻勢演説」「米ソの優位確保を懸念」との見出しの付せられた記事

j 朝日新聞昭和五二年九月一一日付朝刊に掲載された「拍車かかるシベリヤ開発」「順調な『チユメニ』鉄道・道路も着々伸びる」との見出しの付せられた記事

k 朝日新聞昭和五三年三月三一日付朝刊に掲載された「二島返還も応じぬ」「ソ日友好協会会長日中の動きなど批判」との見出しの付せられた記事

l 朝日新聞昭和五五年三月二三日付に掲載された「ソ連の断面」との見出しの付せられた記事

m 朝日新聞昭和五七年六月二五日付に掲載された「ソ連に響かぬ制裁強化、早期撤廃こそ急務」との見出しの付せられた記事

(二) 本件記述3について

本件記述3において引用した、原告の執筆に係る記事は、ソビエト当局の宣伝したいと思うような、建前だけに終始したものである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は全て争う。

1  本件記述1前後に指摘された事実は存しない。また、被告が引用した磯田定章執筆の著書にも「ソ連側が日本の一紙を工作のために意識的に利用した」という記述はあるものの、原告がソビエトに迎合して情報をもらつたという記述は見当らない。

2  被告が右に主張した記事のうちc及びd以外の記事を原告が執筆したことは事実であるが、これらの記事を虚心に精読しても被告の主張を是認することは困難である。また、原告は特派員としてモスクワに派遣されていた当時、左のように、ソビエトの生活の実情をありのままに報道し、批判すべきことについては批判しているものである。

すなわち、原告は、甲第四号証の一の記事では、シベリヤの総合的地域開発が、ソビエトの非能率的な作業ぶりや、関係官庁の縄張り争い、投資の分散化などに災いされて行き悩み、開発のあり方に大きな問題を投げかけていることを報じ、同号証の二の記事では、ソビエト経済の低迷する現状とその原因(ソ連経済自体が巨大化、高度化して高度成長が難しくなつたこと、技術革新に立ち後れ、労働生産性も極めて低いこと、ソ連独特の官僚主義、非能率主義、無責任主義が経済の分野でもはびこつていることなど)を指摘し、同号証の四の記事では、ソビエトの消費物資が量質とも西側先進国に劣りなかなか改善されない現実や、ソビエトの社会主義が国民の要望を満たすに程遠いことなどを取り上げて、巨大な軍事費、農作物の価格補助が国家財政を圧迫し、この財政の硬直化のため投資原資が不足していることが経済の成長を鈍らせ、市民生活にひずみをもたらしているとして、ソビエト経済の矛盾を説いている。また、その他にも、原告はソビエトの生活の実情をありのまま報道し、好ましくないこと、批判すべきことは批判しているものである。

3  本件記述2の記述は、「テレビ朝日」に空港取材が許されたことを誤つて記述したものである。

第三  証拠<省略>

理由

一1  請求原因1及び同2の事実は当事者間に争いがない。また、被告本人尋問の結果によれば、本件著書は第二版まで出版され、その発行部数は二万部を上まわつていることを認めることができる。

2  本件著書の内容について

(一)  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件著書は、被告が株式会社東京放送(TBS)の特派員(モスクワ支局長)としてモスクワに滞在していた当時の思い出及び印象を、エピソードを交えつつ叙述することを中心的な内容としたものであり、本件記述1及び2は本件著書のうち、七章「日ソ漁業交渉」と題する章の最終項、すなわち「虚構の国益」という小見出しの付けられた項の終わりの方にあり、本件記述3は本件著書のうち八章「北方領土問題」と題する章の冒頭、「真実は伝えられているか」という小見出しの付けられた項の中程にある。

(2) 本件記述1の前には、日ソ漁業交渉の報道に関し、日本政府側はプレス発表の範囲に関する申し合わせをかたくなに守つたのに対して、ソビエト政府側は臨機応変に情報を故意に漏らして交渉を自分達に有利に進めようとしたという態度の相違があつた旨の記述があり、本件記述1は「ご存知のとおり、ソヴィエトは日本では評判が悪い。ソヴィエトの公式発表は、『またか』ということで、まともに聞いてはもらえない。だが、仮に、ソヴィエトの言いたいことが日本人記者の意見として伝えられてたらどうであろうか。」との記述を受けてなされている。

(3) 本件記述1と2との間には、日ソ善隣協力条約の提起に関する評価について、朝日新聞の論説と、「彼」の解説との間に相違があること、日ソ漁業交渉が大詰めに近い日に朝日新聞は一面トップで、「日本の漁獲量(ソヴィエト案)決まる」、との特種記事を掲載し、その「すけとうだら全滅」との大きな活字は非常に衝撃的なものであつたが、このすけとうだら全滅というのは誤報であつたこと、ブレジネフ書記長は「朝日」の公開質問状にだけ回答したことなどが記述されており、朝日新聞の論説と「彼」の解説との間に相違があることを記述した部分と本件記述1との間は、「例えば、」との接続詞によつて繋がれている。

(4) 本件記述2の後には、「『朝日新聞』の本社が、これらの出来事についてどのように考えていたか知りたいものである。」、「海外支局発の記事は新聞社や放送局の大きさや立場よりも、特派員個人の資質によるところが大である。いわゆる進歩的文化人は機械的に『朝日』を引用することが多いが、そんなことでは事実誤認になりかねない。」との記述があり、この記述で七章が結ばれている。

(5) 八章の冒頭には、モスクワ特派員の日常生活が物珍しくて商品価値がある程に、ソビエトのことは日本に知られていないが、その原因は日本のジャーナリズムの側にある、すなわち、モスクワ特派員は社会主義に興味を持ち、地上で最初に社会主義革命を実現したソビエトに魅せられたことからロシア語を学んだ者であり、ソビエトが理想の王国でないらしいことはだんだんにわかつてきながら、ソビエトを非難することによつて、世界の進歩を止めることになるのを恐れるという心理を持つているということと、ソビエトは自国が宣伝したいと思つていることを伝えてくれる記者には取材の便宜を与えるが、知られたくないニュースを送る記者に対しては、公然と不利益な待遇をするという功利的な要素があるため、真実は日本人に伝えられる際に、かなり薄められてしまつている旨の記述がある。

(6) 本件記述3の後には、アエロフロートの運航の不規則性について、「ソ連では、国土が広いうえ、安全第一主義が徹底しているので、国内航空便が定時に運航することがむしろ少ない。」とする毎日新聞社の平野裕記者の文章が引用され、このような表現方法による報道は、読者の正しい理解を助けるという説明の許容範囲を逸脱していると思うという趣旨の被告の批判的な見解が記述され、「新聞社のことなかれ主義」という段落に繋がれている。

(7) 本件記述1及び2と本件記述3との間には、モスクワ特派員の姿勢、資質に対する被告の批判を内容とした記述が続いているが、その間には六ページの隔たりがあり、章も異なつている。

(二)  以上の事実を総合すれば、本件各記述について、次のようにいうことができる。

(1) 本件記述1前段は、他人の著書に某新聞社の記者が迎合して情報をもらつた旨の記載があることを指摘するにとどまり、その記載が真実であるか否かについての筆者の判断は、これをあえて明示していない。しかしながら、その最後の部分に存する、「日本ではジャーナリズムの相互批判は避けることになつているのでぼかしてあるが、禁を犯して明らかにすれば、それは『朝日新聞』である」との記述は、暗に、先に引用の形を取つて示した事柄が真実であることを前提としているものというべきである。また、これに続く本件記述1後段は、『朝日新聞』の特派員がソビエトに好意的な記事を書き続けたことを指摘したものである。以上によれば、本件記述1は、これを読む者に対して、朝日新聞社の特派員が、ソビエトに好意的な記事を書くことによつてソビエト政府に迎合し、情報の提供を受けていたとの印象を与えるものであるということができる。

(2) 本件記述2は、朝日新聞社の特派員が、ソビエト当局から便宜を受けた旨を具体的事実をもつて記述したものであり、ブレジネフ書記長が『朝日』の公開質問状だけに回答したとの事実の指摘とあいまつて本件記述1に真実味を与えるという効果を有するものである。

(3) 本件記述3は、原告の執筆した前記記事が、建前のみを記述し、ソビエトがかかえている問題点には目を向けていないものであり、またこのような記事を執筆する傾向が、ロシア語の能力如何を問わず、モスクワ特派員一般に見られるという旨のことを読者に印象付けるものである。

(三)  これに対して、被告は、本件記述1は朝日新聞に対する批判であつて特定の特派員に関してなされたものではない旨主張する。しかしながら、先に認定したところによれば、本件記述1は「日ソ漁業交渉」と題する章の最終項中、最も終わりの方にあるところ、被告はその章を締めくくるに当つて、「『朝日新聞』の本社が、これらの出来事についてどのように考えていたか知りたいものである。」、「海外支局発の記事は新聞社や放送局の大きさや立場よりも、特派員個人の資質によるところが大である。」旨記述しているところでもあつて、この事実及びそれ以前の文章の文脈によれば、被告は、これを朝日新聞に対する批判としてではなく、朝日新聞に属する一人又は複数の、特定の特派員に対する批判として記述したものとして読まれるものというべきである。

3  本件各記述が原告に関してなされたものであるか否かについて

(一)  本件記述3には原告の名があげられているから、原告に関するものであることは、その文面上から明らかである。しかしながら本件記述1、2について、そこに記述された者が原告であるか否かは必ずしも明らかでないので、以下検討する。

(1) 甲第一号証によつて、本件記述1、2を前後の文脈に照らせば、そこに登場する特派員は、朝日新聞社のモスクワ特派員であり、日ソ善隣協力条約の提起に対して、昭和五三年二月二四日付同紙外報面において、解説をした者であること、日ソ漁業交渉が大詰めに近い日に「日本の漁獲量(ソビエト案)きまる」「すけとうだら全滅」との趣旨の記事を執筆した者であること、ブレジネフ書記長に公開質問状を提出した者であること、ツボレフ一四四超音速機のアルマ・アタ行き第一便に座席をもらつた者であること、モスクワ・オリンピックの当時や西ドイツのシュミット首相がモスクワにおいてアフガニスタン問題を批判した当時においてモスクワ特派員であつた者であること、以上の条件に該当する者であるということになる。

(2) 一方、<証拠>を総合すれば、原告は昭和五〇年一一月から昭和五四年一〇月まで朝日新聞社のモスクワ支局長としてソビエトに滞在していた者であること、原告がモスクワ支局長をしていた当時、同支局に勤務していた記者は、原告と新妻義輔の二名であつたこと、昭和五三年二月二四日の朝日新聞夕刊外報面には、日ソ善隣協力条約案に関して原告の署名記事が掲載されていること、昭和五二年三月一九日の朝日新聞朝刊には、日ソ漁業交渉に関して「日ソ漁業暫定取り決め 両政府案全容わかる」「『スケトウ、規制から除外』日本」との見出しを付した原告及び新妻特派員の署名記事が掲載されており、当時この記事は朝日新聞社のスクープとされたが、スケトウダラが規制から除外されているという部分は同日中に誤報であつたと判明したこと、ツボルフ一四四(俗称『コンコルドスキー』)超音速機のアルマ・アタ行き第一便が飛行した当時原告は朝日新聞社モスクワ支局長であつたことの事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(3) 他面、<証拠>を総合すれば、ブレジネフ書記長に公開質問状を提出し、昭和五二年六月回答をえたのは朝日新聞社の秦正流専務であつて原告ではないこと、ツボレフ一四四超音速機のアルマ・アタ行き第一便には原告はもちろん朝日新聞社の者は座席の提供を受けていなかつたこと、原告はモスクワ・オリンピックの当時はモスクワ特派員ではなく、西ドイツのシュミット首相がモスクワにおいてソビエトのアフガニスタン政策を批判した当時においても同様であつたこと、以上の事実を認めることができる。

(二)  右(1)において認定した、本件記述1、2において記述されている特派員の属性と、原告とを対比すると、本件記述1、2に記述されている特派員については、右(3)において認定した事実のように、明らかに原告のこととは異なる事実も指摘されているのであるから、そこに記述された特派員が全て原告であるとみることはできないところである。しかしながら、原告も当該特派員も朝日新聞社のモスクワ特派員であつたこと、朝日新聞昭和五三年二月二四日付け夕刊外報面には、日ソ善隣協力条約案に関して原告の氏名を明記した記事が、昭和五二年三月一九日付け朝刊には、日ソ漁業交渉に関して「日ソ漁業暫定取り決め 両政府案全容わかる」「『スケトウ、規制から除外』日本」との見出しを付し、原告及び新妻特派員の氏名を明記した記事がそれぞれ掲載されていること、後者の記事は当時特種とされたが、一部に誤報も含まれていたという共通点が、存することが認められ、これによれば当該特派員の中に原告が含まれることは明らかである。そして、この事実に、既に認定したところの、本件著書中、朝日新聞の論説と記事(この記事が原告の執筆に係るものであることは右に認定したとおりである。)との間に相違がある旨を記述した部分と本件記述1の間は、例示の接続詞によつて接続されていること、朝日新聞社のモスクワ特派員の数は二名と少ないこと、本件記述1、2の間の部分において記述されている事柄は全て原告のモスクワ滞在当時に起こつた事柄であること、更に証人岩崎義の証言によつて認められる次の事実、すなわち原告がモスクワに駐在していた当時、モスクワには六、七百名の在留邦人が居り、その間には、日本人会その他の会合を通じて、いくつかの私的な人間関係が形成され、また、在留邦人は日本の新聞を熱心に読む傾向があつたとの事実を総合すれば、原告を知る者や原告と同じ頃にモスクワに駐在していた者の中には、本件記述1の対象が原告であると考えた者が多数あつたであろうことは推測に難くないところというべきである。これに対して、本件記述2については、その前後に掲げられた事項が原告に関するものではないこと、また原告と当該記述との結び付きは、原告が当時朝日新聞社のモスクワ支局長であつたことのみにとどまり、しかもその時期が原告の在任中であるか否かを知る手掛かりは当該記事中には、「革命六〇周年を記念して開業した、……」として示されているに過ぎないことに照らして、これを原告と考えた者が朝日新聞社内の者は別として、他にはどれ程いたか疑問があるところである。しかしながら、民事上、名誉毀損又は侮辱が不法行為となるかどうかは、行為者がなした表示の内容、手段ないし方法、それを見聞した者の受けた印象、被害者の職業、社会的地位等具体的事情を総合的に考察し、当該表示が被害者の人格的価値に対する社会的評価を低下させ、被害者の名誉感情を害するものであるかどうかを判断して、これを決定すべきものであるから、不特定又は多数の者には被害者のことであることが理解できないからといつて、直ちに本件記述2が原告の名誉及び名誉感情を害するものではないとすることはできないというべきである。

4  本件各記述が原告の名誉及び名誉感情を毀損するものであるか否かについて

本件各記述が出版、頒布されたことによつて原告の名誉及び名誉感情が毀損されたか否かについて検討するに、先に認定したところによれば、本件記述1、2は、原告がソビエトに好意的な記事を書くことによつてソビエト政府に迎合して、情報の提供を受けていたとの印象を与え、本件記述3は、ソビエト連邦に関する記事については建前のみを報道する傾向が、モスクワ特派員に広く見られ、原告の記事もその類であるとの印象をそれぞれ与えるものであるということができる。ところで、迎合とは「他人の意向を迎えてこれに合うようにすること。」との意において用いられる言葉であること及びいわゆるマスコミの行なう報道については、一般に客観的かつ公正な内容のものであることが期待されており、かつ、これまでおおむねその期待に沿う報道がなされていると考えられていることは、いずれも公知の事実である。また、記者が取材上、他の記者より有利は取扱いを受けること自体は、なんら問題とされることではないが、そのような有利な取扱いがなされたのは、当該記者が記事の客観性や公正さをその有利な取扱いをする者のために放棄したことによるものであるとされる場合には、その記者は報道の使命を貫かず、目先の利益にとらわれた者と評価されるであろうと考えられるところである。

以上のことに請求原因1において認定した原告の社会的地位とを併わせ考えれば、本件各記述は、これを読んだ者のなかに原告が、客観性や公正さが要請されている大新聞の記者でありながら、ソビエト政府に迎合的な記事を執筆し、そのことによつてソビエト政府から取材上有利な取扱いを受けていた、マスコミ人としての資質に疑問の余地のある者であるとの印象を形成させることもありうる内容をもつた文章であることは否定できず原告が本件各記述によつてその名誉感情を害されたと感じることも決して首肯できないことではないのである。以上によれば、本件記述1、3を内包した本件著書が頒布されたことによつて、原告に対する社会的評価がある程度低下させられるおそれが生じたことは否定できず、原告は、これによつてその名誉感情を害されたものと評価すべきであるから、違法性又は責任を否定すべき事由の肯定されない限り、被告は本件著書を著述し、これを出版させたことによる名誉毀損及び侮辱の責任を負うものというべきである。(本件記述2については、これを原告のことを記述したものと推知することのできる者は朝日新聞社内の者など、原告のことを特に知る者に限られており、そのような者は、原告の人柄を知る以上、右記述に接したことによつて、原告に対して、前述のような印象を形成したとは考えがたいところであつて、この記述が原告の名誉及び名誉感情を毀損し、損害賠償を認めるに足りるだけの違法性を具備したものとはいいがたいというべきである。)

二そこで、本件記述1、3について、被告の責任を否定すべき事由が認められるか否か検討する。

1  前記のとおり、本件記述1、3は要するに、原告の執筆する記事がソビエトに「迎合」した、「好意的」な、「胡麻をすつた」ものであり、原告はそのような記事を執筆することによつてソビエトから取材上有利な取り扱いを受けていた旨を記述したものである。ところで、本件記述は、朝日新聞社に所属している記者としての原告の報道に対する姿勢やその執筆した記事が公正であるかどうかを問題とする内容のものであるところ、今日のわが国において、新聞社等報道機関による報道は、国民生活において重要な役割を果していることはいうまでもなく、このような報道のあり方についての批判や論評は公共の利害に係ることがらというべきである。また、前記甲第一号証によつて認められる本件著書とりわけ本件記述1、3部分の内容、表現方法に被告本人尋問の結果を総合すれば、被告が本件著書において本件記述1、3を叙述した目的は、原告その他の一部の記者の報道姿勢に疑問を抱き、読者に注意を喚起することにあつたことが認められ、これ以外の目的ことに原告に対する何らかの私的な動機などをもつてこれを記述したことを窺わせる証拠はないから、以上によれば、本件記述1、3の叙述は、公共の利害に係り、かつ専ら公益を図る目的でなされたものというべきである。しかるところ、本件記事における、一定の記事が他者に「迎合」したことが「好意的」であるとか、「胡麻をすつた」ものであるとかいうことは、記事の内容についての読者の評価判断の結果の表明であり、当該記事を読んでそのような評価を下さない者も当然ありうるところであつて、右のような評価が正しいか否かを客観的に判定することは、評価の対象とした事実の認識が、真実と重要な点又は基本的な点等で食い違つているため、本来の事実からすれば、そのような評価がされうるとは考えられない場合や、右評価がその記事の執筆者に対する悪意に基づいた誹謗中傷であることが明らかであるというような場合でない限り、何人もこれをすることはできないというべきである。したがつて、公共性のある事項についての見解の表明は、その立脚する事実が主要部分において真実であるか、これを真実であると信ずるについて合理的な根拠があるものである限り、それが専ら公共の利益を図る目的でなされた場合には、その用語、表現が辛辣であるなどやや穏当を欠く点がありその結果被論評者に対する社会的評価が低下するおそれもあると考えられる場合であつても、論評者に名誉毀損の責任を追及することはできないものと解するのが相当であり、このことは侮辱を理由とする損害賠償請求についてもなんら変わりはないところというべきである。他方、本件記述における、原告がソ連当局から取材上有利な取り扱いを受けていたという事実を指摘する部分は、一応右の評価判断に関するものとは別個にそのような指摘が真実であるか否かを確定しうることであるから、その記述については、それが真実であることの証明がなされるか、又はその行為者において真実であると信じ、しかもそのように信ずるについて相当の理由があつたことが証明されない限り、被告の責任を肯定すべきこともありうるものと考えられる。以下順次検討する。

2  原告の記事をソビエトに「迎合」した、「好意的」な、「胡麻をすつた」ものとした点について、

(一)  まず、被告が右のような評価をするにつき、対象とした事実の認識の点について検討する。

(1) <証拠>を総合すれば、被告は原告の執筆した次のような趣旨の記事を念頭においていたことが認められる。<中略>

(2) 次に<証拠>を総合すれば、昭和五二年の日ソ漁業条約締結交渉に際し、朝日新聞社が他紙にくらべ一歩早くソ連側の主張を報道したこと、ソ連のノーボスチ通信社から朝日新聞社に対して優遇的な情報提供がなされているというのが他の報道機関のモスクワ特派員の一致した理解であり、被告もそのように考えていたこと、被告は原告による右漁業協定交渉に関するソビエト案や新憲法草案についての報道は、その用語の翻訳のしかたなどから原告がソビエト側から和訳文の形で入手した案文に基づきなされたものであると推測していたこと、また朝日はノーボスチベつたりであるということもその当時、記者の間においていわれていた表現であること、以上の事実を認めることができる。

(3) 右(1)、(2)において認定した事実に、<証拠>を総合すれば、被告は右の各記事について、日本側の動きを牽制し、ないしは、ソビエトに対して対日宣伝の場を与える内容のものであるとの評価を抱く一方、朝日新聞ないし原告が他社に比べて有利な取扱いを受けていたとみられる状態にあつたことから、両者を結び付け、原告が右各記事によってソビエトに迎合していると判断するに至つた事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで前記認定に係る各記事は、おおむね、日本のソ連に対する立場を踏まえた上で、これに対するソ連政府の考え方や、ソ連の現状などをありのまま報道することに努めているものと考えられ、その目的上、ソ連政府の主張を代弁する形となつているものもあるが、そうであるからといつて、記事の執筆者がソ連政府の主張を正しいとする前提に立つているものとは必ずしも読み取れるものではないから、これらの記事を原告が執筆したからといつて、直ちに原告がソ連に迎合し、好意的であり、又は胡麻をすつたと評価することには疑問もあるものとしなければならない。

他面、原告の右記事は、一般にこれがどのように評価されるかは別として、ソ連又はその政治体制に積極的な評価を与える性格を有する事実に重点をおいてなされたものと読む余地が全くないわけではないものであるし、また、ソ連政府当局の主張を、特段の批判を加えずにそのまま記述しているものもあるものであるから(原告としても、ソ連政府の言い分をそのまま、できるだけ詳細に伝えることによつて、読者に冷静な判断材料を提供するように心がけて報道に当つてきたものである旨、原告本人尋問(第二回)において自認しているところである。)、ソ連やその政治体制について一定の見解を持つ者が、このような記事を読み、とりわけ、ソ連政府の主張に何ら批判を加えないでそのままこれを報道している点や、ソ連の現状に積極的評価を与えている点などをとらえ、記事を執筆した者が、ソ連に迎合し、これに好意的であり、又はこれに胡麻をすつたと判断したとしても、それは、一つの立場からする見解として成り立ちうるものであり、そのようなものとして尊重すべきものといわざるをえないところである。ことに、被告は、自身マスコミに身を置く者であり、報道において、記者の主観が過度に介在することにより、事実の客観的報道を使命とするマスコミが、一定の立場からの情報操作に利用される危険を感じ、ニュース・ソースとの関係について意を用い、これに利用されるようなことがあつてはならないとする見地から、右のような記事を読み、かつ、前認定のような朝日新聞社又はその記者に対するソ連当局の有利取扱いの事情を見聞して、原告が、ソ連当局に迎合し、好意的であり又は胡麻をすつた記事を執筆したものと判断し、前記の見地から、これを広く訴えるべく本件記述1、3のような文章を執筆し、これを単行本として頒布させたというのであつて、そのような判断ないし見解は、一つのありうる考え方として、それが一般的に是認されるものであるかどうかとはかかわりなく、これを尊重すべきものであり、そのようにすることが、本件の原・被告がともにその職務の遂行上生命線ともしている言論の自由の保障が貫かれるゆえんであるともいうことができるのである。

そうであるとすれば、そのような見解を表明し、その結果、その対象とされた者の名誉ないし名誉感情を害することとなつたとしても、その見解の表明は、相当な合理的根拠、資料に基づき、正当であると信じてなされた、一つの立場の表明として尊重されるべく、違法性を否定せざるを得ないものというべきである。

(三)  以上によれば、本件記述1、3のうち、原告の報道がソビエトに「迎合」し、「好意的」な、「胡麻をすつた」ものとした部分は、公共の利益に係る事項につき、専ら公益を図る目的でされたもので相当な合理的根拠、資料に基づき、正当であると信じてなされたものとして名誉毀損及び侮辱による不法行為を構成しないものとするのが相当である(なお、<証拠>によつて認められる、原告がソビエトの批判を内容に含む記事を執筆したことのある事実に照らせば、本件各記述が、原告がソビエトに好意的な記事を「書いた」あるいは「書くことが多かつた」とせず、「書き続けた」としている部分には、誇張があるということができるが、この種の論評においては、この程度の誇張はいわばつきものであり、これがあるからといつて、右の判断が左右されるものではないというべきである。)。

3  原告が迎合した記事を執筆することによつてソビエトから取材上有利な取り扱いを受けていたとの記述について

(一)  原告が情報の提供を受けることを意図してソ連政府当局に迎合していたことを示す事実は、本件全証拠によつてもこれを認めることはできない。

(二)  しかしながら、被告が、原告の記事を「ソビエトに迎合」したものであると考え、その見地から正当であると信じて本件記述1、3の叙述がなされたものであることは、先に認定したとおりであり、朝日新聞ないし原告は、日ソ漁業協定交渉や新憲法の制定の際に、他紙に比べて一歩早く、ソ連側の情報を入手しており、このことから、ノーボスチ通信社は情報提供につき朝日新聞に最も便宜を図つていると、当時のモスクワ特派員一般に認識されていたことも、先に認定したとおりである(原告が、ソビエト新憲法の制定に関し、他社の特派員に比して早く草案をソ連側から入手したこと、また、昭和五二年の日ソ漁業交渉に関し、独自にソ連側から条約案を、入手したことが事実であることは、原告自身、同本人尋問(第二回)において自認しているところである。)。

右認定事実によれば、被告が現に形成している原告の執筆した記事に対する評価判断と原告の受けていた右取材上の便宜取り扱いとを結びつけ、原告がソビエトに迎合することによつて取材上有利な取り扱いを受けていたと信じたことにも、それなりに相当な理由がありやむを得ないところというべきである。

4  したがつて、被告の抗弁は結局理由があることになる。

三以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないことになるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官米里秀也 裁判官松井英隆)

別紙謝罪広告<省略>

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